なぜ小平に、なぜ障がい児者の音楽施設をつくったの?

「みんなの家’77」は放課後等デイサービスとして月~金の午後、小学生、中学生、高校生が療育音楽・音楽療法を中心とした活動をおこなっています。

創始者赤星建彦は作曲家であり、作曲・編曲のほか、楽器の指導、教本の制作など幅広く音楽活動を行っていました。1972年に制作を依頼された「レッツプレイ・ギター」というカセット付の教則本で学んだ病院の保母さんとの出会いがあります。出版元に連絡があり「教本で学んで1年たち、病院内でコンサートを行うので先生に是非来てほしい」という申し出です。出向いた病院は筋ジストロフィ―と云う難病の子どもたちが入院している病棟で、「毎日一生懸命練習をしてその成果を聞いてください」ということからでした。その音の清々しさ、歓び一杯の顔々、今までプロの世界(レコーディング、ショーなど)で音楽と取り組んできた赤星にとってその光景は正に衝撃の一瞬でした。それにも増して嬉しかったのは、担当医師の言葉で「ギターをやっている子どもたちはやっていない子どもたちより病気の進行が遅く、ケンカやもめ事も少なくなり、人間関係・社会性も育まれている」ということでした。楽しく音楽をやることで心身のリハビリテーションにつながり、歓ばれる。音楽療法に繋がるこの活動に大きく踏み出すきっかけになりました。

この演奏が新聞に掲載され、幾つかの所から指導を依頼されます。その中に小平の障がいある少年との出会いがあります。少年が詩を作り、赤星が作曲を依頼されました。TVで取り上げられ、プロのフォークグループによりレコードにもなりました。小平でも障がい児者がいつでも楽器が使えて練習できる場所があれば、という要望から生まれたのが「みんなの家’77」に繋がります。楽器会社にも協力して頂き、打楽器、キーボードなど寄付して頂いたり、独自に工夫した楽器を作ったりして様々な障害があっても、みんなで演奏することで音楽が生まれる、楽しくリハビリに繋がる活動として多くの方の協力とご理解があり、一歩一歩歩んできました。

709976