この活動を始めたきっかけ

1972年赤星建彦が、あるテレビ関連会社の依頼で作ったカセット付ギター教則本「レッツ・プレイ・ギター」のキャンペーン(埼玉県浦和市)に参加した時に、熱心に参加されていた中年の女性に「何でギターを習うのですか?」の問いに「子どもたちに教えてやろうと思って」の返事。「珍しいお母さんがいるものだ」との印象が強く残ったとあります。

1年後の8月、埼玉県蓮田市の東埼玉病院から出版元に電話があり、「子どもたちにギターを教えて1年になり、発表会を行うので著者に是非来てほしい」と云う申し出があり、赤星建彦、赤星多賀子、スタッフ共に出掛けました。そこに熱心に参加されていた中年女性がおり、その病院の保母さんだということがわかりました。

十数人の筋ジストロフィの子どもたちが難病にもめげず、一生懸命に弾いているギター、その音の清々しさ、歓びいっぱいの顏、今までプロの世界で音楽と取り組んでいた赤星建彦にとって、こんな光景は正に衝撃の一瞬。それにも増して嬉しかったのは「ギターをやっていない子どもたちより病気の進行が遅い、ケンカやもめ事も少なくなり、人間関係、社会性も育まれている」という担当医師の言葉。

楽しく音楽をやることで心身のリハビリテーションにつながり、歓ばれるならばと思い、この活動に没入する大きなきっかけとなりました。