3・11から10年

3・11の東日本大震災から10年、ひと昔と言いますがついこの間のような気がします。

その日の金曜日の午後2時過ぎ、「みんなの家’77」では赤星建彦会長は担当の職員とキラキラスターズのセッションに参加していました。

メンバーは6人、みんなの家は大きく揺れたものの被害は殆どなく、みんなで大きなテーブルドラムの下に避難して様子を見ることに。

被害は棚の事務用品と机の上の書類が少し床に落ちた位でした。

私もこの日は事務所にいたので急いでニュースを見て、震源地、被害状況は?キラスタのメンバーの不安にならない様に情報を集めて、これからどうするか至急の相談をしていました。

福島方面が震源地とあり、東京では交通機関が不通になり、停電で信号機も消えていることから車も大渋滞、携帯電話も使えなくなり、唯一使えるのは公衆電話とあり、テレホンカードと硬貨が使えるとあり、長蛇の列になったようです。

担当の職員がメンバーを車で自宅まで送るように出かけたのですが、普段は40分くらいのメンバーの家まで大渋滞で3時間以上かかり、戻ってきたのは21時過ぎになりました。

通りの反対側は停電になったのですが、みんなの家’77一帯は停電になりませんでした。

ニュースでは福島、宮城、岩手の被害の様子が伝わってくると大惨事の様子が刻々と伝わってきました。

10年経ってもまだ仮設住宅で生活している人も不明者も多く、人気歌手が歌う明日へは涙がこぼれてきます。

それでも進まなければ・・・。